こんばんは、RANです🐂
昨日姉と1ヶ月ぶりに会いました✨
服の買い物に付き合って欲しいとのことで、買い物の前に二人でカフェに入りまして
色々と話してたんですけど、急に姉が
「実はプレゼントがあるんだ!!」と・・・。
誕生日でもなんでもないので、なんだろー?と不思議に思っていたところ、これをいただきました。

なんと、姉と二人で周ったオーストラリアのロードトリップの写真を、一冊の本にしてくれたんです🥹
もう本当にびっくりと嬉しさで泣いちゃいました。
またひとつ、大切な宝物が増えました☺️
それでは本日は、パンデミック真っ只中に被ってしまった私のワーホリ1年目、後編です!!
セカンドビザへのリベンジ
車を購入して、知り合いの知り合いが働いていたトマトファームへレジュメ(履歴書)を持っていきました。
その場で採用が決まり、友人と二人で、職場があるNoosaへと引っ越しをしました🚗
Airbnbから1ヶ月間仕事へ通い、職場で仲良くなった友達の紹介でシェアハウスへお引っ越し。
ようやく腰を落ち着けることができました☺️
リベンジとなったファームは、オーストラリア人が経営する、ハウスでのトマトの収穫作業。
作業に慣れてない最初の1週間は24ドルの時給でした
1週間の時給の期間が終わると歩合制になり、収穫したトマトの重さで給料が決まります。
収穫以外の枝の剪定や掃除の時間は時給でした!
すっごくホワイトな職場で、お金も稼げました✨
クリスマスには一年の労働を労って、オーナーがパーティーを開催してくれました!
5000円分のギフトカードまで頂いて、こんな職場があったのかともう感動🥹
ハウスの中での作業ということもあり
きついことも沢山ありましたが、もう一度ファームで働くならここに戻りたいと思える場所でした☺️
ここで3ヶ月働き、無事にセカンドビザが取れる労働日数を満たすことができました!!
差別について
この頃になると、コロナでの規制も緩和され始め
ウイルスが蔓延し始めた最初に頃に比べると、差別されることもかなり減りましたが
最初はなかなかひどいものでした。
私が言われた内容としては
・中国に帰れと言われる
・コロナウイルス!と指を差される
・Fワードをとにかく言われる
・電車で喚かれる
・すれ違う時鼻と口を塞いで距離を取られる
コロナが始まってから半年くらいは、度々このようなことがありました。
最初はびっくりしたり怖いと感じましたが、慣れてくるとあんまり何も感じませんでした🤣
髪を引っ張られたり、乗車を拒否されるなどの差別を受けたとの報告も聞きました。
日本に住んでいると人種差別を受ける機会はないので、”面と向かって知らない人から罵倒される”
という初めての経験は、今となっては貴重な経験をしたと思えています☺️
される側の気持ちというのを実際に感じたことは
今後の人生に生かされると思います。
やっとできた、”普通のワーホリ”
家もお金も安定し、施設や飲食店の一時的な閉店も緩和され、差別も少なくなり。
オーストラリア9ヶ月目からようやくワーホリを楽しめるようになりました。
スカイダイビングをしたり、毎日仕事おわりにビーチに行ってのんびりしたり。
テーマパークやマーケットにもたーっくさんいきましたーー!!!

この3ヶ月間が、私のワーホリ1年目で一番楽しくて充実した時間でした。
帰国への葛藤

一年目のビザが切れるまで残り1ヶ月となった12月
本来はそのままセカンドに切り替えて、サードビザのためにまた半年このファームで働く予定でした。
が、トマトの収穫時期が終わり仕事がなくなるとのこと。
急いで次のファームを探していた時に、ふと。
もう、日本へ帰ろうかな。
そんな考えが頭をよぎりました。
オーストラリアの国境が封鎖されていた当時は
『一時帰国』というのができない状態でした。
一度オーストラリアから出てしまうと、もう入国することができないからです。
ビザの期限が沢山余っている状態で帰国し、再入国ができなくなると、残りのビザが無駄になるのです。
なので、セカンドビザに切り替わってしまうと
また国境が開くまでオーストラリアを出れなくなってしまう。
一年目のビザが切れるタイミングで帰国して、国境が開いてからセカンドを申請して入国すれば
ビザを無駄にすること無く、日本へ帰国できる
というタイミングだったのです。
正直、日々移り変わる状況になんとか対応してここまできたけど、もう疲れた。という気持ちでした。
日本に帰りたいという気持ちは、実はずっとありました。
日本に帰って、体制を整えてまたリベンジしたい。
という気持ちと
・このまま国境が開かなかったらどうしよう。
・バリスタになりたい、ロードトリップをしたいという夢が叶えられてない。
・負けた気がする。甘えてるんじゃないか。
そんな葛藤で日々、日々、悩んでいました。
残ること、帰国すること。どちらが正解かわからなくて、とても苦しかったです。
そんな時にいただいた言葉。
『自分が選んだ道を正解にするだけ』
この言葉で、帰国することを決意しました。
帰国という選択を正解にするために、一時帰国中に必ずやることを決めました。
・英語の勉強をする。
・カフェで働き、バリスタの経験を積む。
・ワーホリ2年目の為に貯金を沢山する。
このまま2年目に突入するよりも、一旦帰国して体制を整えた方が正解だった。
そう言えるように日本で生活することを決めました
日本へ。本音は、悔しかった。
帰国を決めてから、ビザが切れるまでの3週間。
コロナ中の国の移動ということで書類や検査が必要だったり、車の名義を変更したり。
そして福岡への便がなかったので、どうやって帰るのか、隔離はどうするのか。
忙しなく色々な準備を進めていきました。
『必ず帰ってくる』という決意を持って
沢山の荷物と車、全てを友達に預けました。
ガラガラの空港のチェックインカウンターで
「あなたはオーストラリアの市民権を持っていないので、出国するともう戻れません。それを理解していますか?」と聞かれました。
わかってたけど、涙が溢れそうでした。
友達と別れ、一人、これまたガラガラの飛行機に乗り込み、飛行機が陸から離れた瞬間。
プツンと糸が切れたように、堰を切って涙が溢れ出しました。
悔しい、悔しい。こんなワーホリになるはずじゃなかった。まだ何にも出来てないのに。
やっと楽しめるようになったのに。
私は逃げたのかもしれない。理由をつけて。
今日を後悔する日が来るかもしれない。
そんな、不安と後悔と悔しさと。
あの時の気持ちは、言葉では言い表せないけど、16歳から海外に住むことを目標に生きてきた私には
どうしても、自分の決断が悔しかったのです。
だけど実は、新たな目標もありました。
それは『姉と一緒にロードトリップをすること。』
帰国に迷っていた時、姉に相談しました。
その流れで一緒にロードトリップしよう!という話になり、お互いの年齢やビザを計算して
2022年にオーストラリアに戻り、2024年に姉もオーストラリアへ合流。という計画を立てました。
その目標を胸に、私は日本へ帰りました。

最後に
5年前、飛行機で泣き続けた私に言いたいこと

長くなりましたが、私のワーホリ1年目。
渡豪から2ヶ月で世界がパンデミックになった、カオスなワーホリはこんな感じでした。
当時はコロナを本当に憎みました。
ですが、今となっては一生に経験したくてもなかなかできない、とても貴重な経験ができたと思ってます。
これからの人生もそういう出来事があるでしょう。
この経験を糧に、頑張っていきたいと思います✨
最後まで読んでいただきありがとうございました!
また次のブログで!!

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