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パンデミックのワーホリ1年目(中編)

こんばんは、RANです🌸
最近、6月の受験に向けて本格的に
TOEICの勉強を始めました!!
やっぱり話すのとは違って難しいですねぇ・・・
毎日2時間、継続して頑張ります!🔥

それでは今回は前回の続きで
私のコロナ禍のワーホリ1年目中編!
行っちゃいましょっ!!

目次

初めてのファームジョブ

乗客3人だけの長距離バスに揺られること24時間。
ようやく目的の町に着きました。
そこから1時間以上待ち、ようやくお迎えが。
知らない外国の男性の車にひとり乗り込みました。
(今思えばなかなか危険🤣皆さんは気をつけてね!)

隔離ホテルに2週間閉じ込められ、食料がなくなって飢えに苦しんだり🥲
そこからホステルに移動したものの、ポジション確保のためにお金を払っていたのに
仕事は1週間はもらうことができませんでした。
1週間150ドルの家賃を払っていたので、すでにお金は3万円ほどしかありませんでした。

ようやくもらった仕事はというと
歩合制のトマトの枝の剪定作業。
え?時給24ドルのカプシカムのパッキングは?
確認すると、まだシーズンじゃないから始まるまでこれをやっておいて。とのことでした。
やっぱり絶対おかしいここ。と思いながらもとりあえずお金のために働きました。

雨が多い、枝が育ってなくて折る必要がない、そして歩合制ということで収入はスズメの涙。
一番少ない時は一週間で8000円ほどの収入でした。
貯金は底をつき、給料が入っても家賃を払うと残り70円。これで1週間生きていかねば。
そんな状態が続きました。

いくら待ってもカプシカムの時給の仕事をもらえず。
私たちは雇い主のコントラクターが所有するホステルに住んでいたんですが、良い求人を出して
人を集める。しかし実際にはその仕事はなく、家賃収入のための詐欺のように思えました。

私には移動するお金も車もなかったので、他にも仕事が欲しいとズッキーニやチリの収穫などもして、
とにかくなんでもやりました。

家無し、仕事なし、お金なし。

少しお金が残るようになってきて、6万円ほどお金を余らせられるようになった時。。。
事件が起きました。

当初はホステルに沢山の国の人がいましたが
コントラクターの魂胆に気づいた人が続々と居なくなっていき、数人の日本人だけが残っていました。
騙されている。自給の仕事はいつまで待っても無い
という事に気づいていながらもその場にとどまっていた私達でしたが、コントラクターからびっくりするくらい理不尽な要求があり、全員憤慨。
全員でボイコットしてファームから戻りました。

コントラクターから怒りの電話がかかってきましたが、出たくないとたらい回しに。
回ってきたのは私のところでした・・・。(私の携帯はお金が払えず止まっていました笑)
私が一番お金に困って、普段から苦情を言っていたこともあり、私が電話に出るとかなり怒鳴られて

\結果、私だけクビになりました!😭/

実は、私は最初ボイコットに反対していました。
不憫に思った友達が、RANは働くと言ってたって、ちゃんと証言するからって言ってくれましたが
もうなんだか。理不尽だらけで人も信じれないし。ここに居たくないという気持ちで、クビを受け入れました。
こうして、私の3ヶ月のファーム生活が終了😭

ゴールドコーストに帰る日の私🤭
なんかもう振り切って笑顔ですが、もう心も体もズタボロで、人生で一番しんどかった瞬間でした🥲
今となってはそれも良い経験だったなぁと思います

大好きなゴールドコーストへ

仕事をクビになり、すぐに家を出ていってくれ
と言われ、なけなしの6万円を使って
大好きなゴールドコーストへ戻りました。

3ヶ月ぶりに戻ったゴールドコーストは、だいぶ規制も緩和されていたので、日本人の友達を頼り
なんとか家や仕事を見つけて、少しずつお金を貯めていきました。
休学していた学校にも戻り、なんだか戦争から帰ってきたような気持ちで、平和な生活を送りました☺️

最初のファームで、車がなければどうにもできないと知った私はとにかく働いてお金を作って
オーストラリアで初めての車を購入!🚗
1999年生まれの3ドアの安い車でしたが、せっちゃんと名付けて大切に乗りました♡

再びファームへ。

ゴールドコーストで3ヶ月過ごし、生活を整えた私は再びファームへ行くことに。
実は、最初のファームで3ヶ月間働きましたが、セカンドビザを取れる日数や収入を満たしていなかったのです🥲

今度はひとりじゃなく、友達と。
そして車も持ってる、お金もある。
そうして、ファームジョブにリベンジしました!

長くなってしまったので今日はここまでー!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました☺️
また次のブログで!!

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この記事を書いた人

福岡県産ドラマー。
高校生で行った短期留学から英語を話せるようになりたいと猛勉強。
ワーホリでオーストラリアに3年間滞在し、バリスタやバーテンダーとして働く。最後にオーストラリア1周のRoad tripを経て日本へ帰国。
オーストラリアも大好きだけど、やっぱり日本も大好きなバンドマンです。

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