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パンデミックのワーホリ1年目(前編)

こんばんは、RANです☀️
実は最近オンライン英会話を始めました!
昨日のレッスンで、2020年にオーストラリアに初渡航したことを先生に伝えたんですが
国外でパンデミックを経験したの!?とびっくりされました🤣

最近思い返すことは減ったけど
そういえば最初はすごくカオスだったなぁ。。。と久しぶりに思い出したので
今日は私が経験したオーストラリアでのパンデミックについて思い出を語っていきたいと思います☺️

目次

1月、オーストラリアへ

私が初めてオーストラリアに渡航したのは2020年1月17日でした。
調べてみたら、1月半ばには日本で初めてのコロナ感染者が確認されたそうなんですが、
当時の私は全く知りませんでした。

語学学校に通い、少しずつ友達を作ってパーティーに行ったり。
1ヶ月間ホームステイをした後、初めての家探しをしたり。

目新しいことばかりの新鮮な日々から少しずつ生活に慣れていく中SNSでは、何やらウイルスが蔓延し始めているとざわついていました。へぇーー。大変だなぁなんだか。そんなことを思っていました💦

急激に変わった生活

ホームステイから初めてのシェアハウスに移り
そちらでの生活にも慣れ始めた2月下旬ごろ
その時私は学校でバリスタクラスを受けていました。
クラスルームで、「すぐ近くのショッピングセンターでコロナが出た」そんな話が広がり、
大変なことが起き始めているんじゃないか?と
まだ来て間もない国で、これから何が起きるのか不安でした。

3月に入ると、急激に状況は変わっていきました。
お店からトイレットペーパーやパスタ、生理用品などが消え、日本国総領事館からは、日々変わり続ける情報のメールが毎日届くようになりました。

そして、2020年3月20日オーストラリアの国境は封鎖されました

国境が閉鎖されてからは、娯楽施設や飲食店の店内飲食、ジム、教会など多くの施設が営業禁止になり
学校も閉鎖、公園等に2人以上でたむろすることも禁止に。そして領事館からはこのような声かけがありました。

仕事のない厳しい生活が6ヶ月以上続く可能性があります。
帰国の手段も減ってきており、ビザの有効期限によっては、帰国便が確保できないと
不法滞在という状況に陥ってしまいます。
医療費が数百万、数千万と高額になる可能性もあります。
蓄えが少ない方、金銭的サポートが受けられない方、生活が困窮しそうな方は直ちに日本へ帰国してください。

語学学校の友達も次々と帰国し、
空港へ行ったら飛行機が運行停止になって帰れない
キャンセルになった飛行機の返金が受けられない
そんな話を毎日聞くようになりました。

そんな中私は・・・

この国で生きていけるのか不安しかない。
だけど、16歳からの夢をようやく叶えられて約2ヶ月。
このまま帰国すると、オーストラリアの国境封鎖のため
この国には戻ってこれないままビザが終わってしまう。
200万円一生懸命貯めて挑んだ私のワーホリは2ヶ月で終わる。
それでいいのか?
それでいいわけがない。私は残る。

こんなところで終われない。そう思い、残ることを決めました。

政府からの支援

ワーキングホリデーなどの、市民権や永住権を持たない”短期滞在者”へのオーストラリア政府からの金銭的支援はありませんでした。
理由としては、オーストラリアの自国民も仕事を失い、生活に困窮している状況。
まずは自国民を守らなければならない。
ワーホリに対しては、同一雇用主のもとでは6ヶ月しか継続して働けないという規制の緩和、
年金の早期引き落としが可能、などの緩和措置がありました。

海外に住んではいるものの、国籍は日本人。ですが、日本政府からの支援もありませんでした。
長期で海外に住む日本人は、海外転出届を出し、住民票を抜きます。
なので、日本に住民票がある人が対象の特別給付金は受けれず
海外に住む日本人の把握やお金の送金方法が難しい、そして国によっては、在住している国の給付金を受け取っている場合があるから、などの理由で日本からの海外邦人への給付金支給は無しになりました。

日本に帰国したくても飛行機が運行停止で乗れない。
乗れたとしても飛行機代はかなり高騰しており、海外からの帰国者は自費でホテル隔離、
もしくは公共交通機関を使わずに自宅へ帰り、隔離をすることが必要。帰りたくてもお金が足りなくて帰れない帰国難民もたくさんいるという状況でした🥲

仕事探し

政府からの支援は受けられなかったけど
残ると決めたのは自分、自力で生きないと。

オーストラリアに来て3ヶ月。
ちょうど仕事を探そうかなぁというタイミングでした。
ですが飲食店は持ち帰りのみの営業で解雇者がたくさん出ている状況。
何軒か履歴書を送りましたが、当然返事は返ってきませんでした。
その時点で私の貯蓄は10万円でした。
残り1ヶ月の学校が終わってからファームに行くつもりだったけど、その前にお金が尽きてしまうし、シティーでは仕事は見つからない。

路線変更して、まずは学校を半年間休学しました。
そしてシェアハウスのオーナーに金銭状況を伝え、家賃を少し下げてもらいました。
それから10件以上のファームに履歴書を送りました。ですが、考えることは皆同じ・・・。
シティーでの仕事を失った人たちが大勢ファームに行っていました。
違う州に住んでいる友人からファクトリーの話もありましたが、ロックダウン中で別の州に行くのも難しい状況でした。
一件だけ返事が来て、すぐに仕事を始められると。仕事内容、時給24ドルでのカプシカム🫑のパッキング。
その求人は、怪しいなぁと思っていたものでした。だけどもうそんなことも言ってられません。

指定された通り、2週間分の家賃と仕事のポジション確保のため、前金を(おそらく3万円ほどだったと思います)払いました。
時給やポジション、開始時期を再度確認したメッセージ、前金支払い画面をスクショして、万が一のために保存しておきました。

仕事を探し始めて10日、オーストラリアに来て3ヶ月。私はゴールドコーストを離れました。

正直、こんなことになるとは。。。と、予想外の展開に、驚き。心から溢れる不安、やっとできた友達と離れる寂しさ、
ゴールドコーストでまだ何も出来てないのにという悔しさ。それと、なんだかちょっぴりワクワクもありました。🤣

こうして、私はゴールドコーストから長距離バスで24時間。全く知らないど田舎へたった一人で旅立ちました。
大きなバスの乗客は私含めて3人のオーストラリア人。私にとっては大冒険でした。

今回はここまでーーー!!
怪しげなファームで一体この後私の身に何が起きたのか・・・
次のブログを楽しみにしていただけると嬉しいです☺️
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!また次のブログで!

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この記事を書いた人

福岡県産ドラマー。
高校生で行った短期留学から英語を話せるようになりたいと猛勉強。
ワーホリでオーストラリアに3年間滞在し、バリスタやバーテンダーとして働く。最後にオーストラリア1周のRoad tripを経て日本へ帰国。
オーストラリアも大好きだけど、やっぱり日本も大好きなバンドマンです。

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